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祖母の最後 の記事
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| 夢で目が覚めた | |
| 2008/09/20(Sat) 03:07 | |
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夜。いつもよりも早い時間に睡魔が襲ってきた。睡魔に逆らわずにそのまま布団に入り就寝。
久々に夢を見た。祖母の夢。 私がいるのは祖母の家。私のほか、誰の人影もない。でも、祖母の気配だけがする。炊事をしたり、お風呂に入ったりしている祖母の気配。その気配を追うけれど、行った先に祖母の姿はない。なんとなく寂しそうな、うっすらとした後姿の気配だけ残ってる。お仏壇には飲み終わって底に茶渋がからからに乾いたお湯のみ。 祖母が寂しがっている気がした。 今は誰もいない家に、時には遊びに来て欲しがっている気がした。 目を覚ますと、時計の針は2時前を指していた。寝てからそんなに時間は経っていない。 不思議な気分のまま起き上がり、祖母の写真を見に行った。まだ起きていた母に、夢の内容を話す。お盆にもお墓参りに来なかったことを、寂しがっているのかもしれない。祖母の写真の前に、祖母と祖父の分のお茶をあげ、線香を私と母1本ずつあげる。 もうすぐお彼岸。東京に行けば気楽にお墓参りもいけなくなる。東京に行く前に、母と二人、お墓参りに行こう。 | |
| 祖母の三年忌 | |
| 2007/03/26(Mon) 18:22 | |
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3月24日で祖母が死んで丸2年経った。ちょうど、土曜日ということもあり、その日年忌法要を行った。
11時にお坊さんが祖母の家に来るということで、父方の祖母を迎えに行って母方の祖母の家に。父方の祖母がいろいろあって、朝っぱらから激しくハラワタ煮えくり返ったけれど、それはいつものことでもあるので割愛。車の中で、父方の祖母に激しくムカつきつつ、『これから母方の親戚と会えるんだ。母方の親戚と話せば気が楽になるはず。』と自分に言い聞かせてひたすら耐え。 父方の祖母のせいで、多少遅刻してしまったけれど、焼香には間に合った。法要が終わると、お昼ご飯。法要に参加したみんなで机を並べ、お弁当を出し、コップを並べ、座布団を並べ。祖母の長男が音頭を取り、乾杯、そして食事。 従兄姉の子ども(3歳と4ヶ月)も来ていたので、子どもの面倒を見たり(奪い合ったり?)、明るく語り合ったり、わいわい楽しく食事。そして、夕方に近くなると、バーベキューの開始。天気は雨。むしろ土砂降り。ということで、傘を片手に土砂降りバーベキュー!!ある意味、貴重な経験。 夜は、いつも通りの身内だけの飲み。母の兄弟夫婦と私の兄弟とで、わいわい語り合い。夜も更けてきた頃、母の次兄、弟夫婦、私と長兄を残しみんな帰り、残った面々で飲み。といいつつ、私は10時前に就寝。 翌日、日曜日。夕方になり我が家に集まる母の兄弟。母の次兄夫婦と弟は、私の家に着いたときには既に出来上がっていたけれど。遺産について、ようやく話が進められた様子。でも、母の兄弟を見ていると、いがみ合うわけではなく、祖母の遺したモノを、祖母の想いと一緒に引き継ぎたいという思いをみんなが持っていて、自分たちの兄弟もこうなりたいな、と思わせられる。結局、結論は出なかったけれど、今後も必要があればこうやって集まって話し合うんだろうな。見てて、娘(姪)として、やっぱり嬉しい。 来月、戻ってきたら、日常的にこうやって行き来する母の兄弟たちを見て、母の兄弟たちと飲んで、幸せを味わえるんだろうな。と、思ったり。 | |
| 今尚残る、悔い | |
| 2006/11/24(Fri) 19:02 | |
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昨日、酔っ払って帰ってきた次兄。買い物に行き忘れていた私に、説教モード。次兄は結構絡み酒だったり。
次兄:「お前にとってどうでもいい1日は、他人にとってはどうしても得られない1日だったんだ。」 どうでもいい感じで過ごす1日。確かに、今この一瞬を生きたくても生きられない人もいる。 次兄:「お前にとってどうでもいい時間が、他人にとっては死に目にあえない時間だったんだ。」 ふと、口調が強くなった次兄。 次兄:「あと5時間でも3時間でも早ければ、俺は死に目に会えたかもしれないだろう?」 祖母の最後、次兄と姉は、最後の最後で死に目に会えなかった。誰よりも、側にいたかったであろう二人が、一番遠くにいた。仕事だったんだと、仕方なかったんだと、言い聞かせたって、どれだけやるせなかっただろう。 1年と半年以上が過ぎ、それでも尚残る、次兄の悔しさ。仕事を放棄してでも、側にいたかったはずだ。死に目に立ち会いたかったはずだ。いつもは飄々と生きる、次兄の本心が、私の心に突き刺さって、痛い。 | |
| カレンダー | |
| 2006/04/28(Fri) 09:21 | |
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祖母が、最後の日々を過ごした部屋。そして、最後を迎えた部屋。その部屋のカレンダーはまだ、2005年3月のまま。そのカレンダーの周りだけが、あの時と、まったく変わらず、時間が止まったままのようで。
カレンダーには、お医者さんの往診の予定やヘルパーさんの来訪予定が書かれている。 誰も、そのカレンダーをめくることも、外すこともできずにいる。 祖母が、そこにいた証。祖母が、そこで息を引き取った証…。 誰もが祖母の死を昇華できたとき、あのカレンダーは、あの壁からはずされるのだろう。 私の涙もまだ、枯れてはくれないようだ。。 | |
| 亡くしたもの。そして、未来へ | |
| 2006/03/20(Mon) 19:03 | |
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1年忌を終えて、鹿児島から東京に戻ってきた。亡くしたものの大きさを改めて実感する、帰省だった。
法事の最後の説教。お坊さんが『いのち』について、語った。『いのち』命とも寿とも書くそうな。過去があって、未来があって、現在がある。それが『いのち』ということだ。過去の上に現在があるわけでも、現在の延長線上に未来があるわけでもなく、過去と未来があって、そこに現在があるんだと。それが、生きると言うことだと。そういう考え方をしたことはなかった。ちょっと、はっとした感じ。未来のために生きるわけでも、過去を振り返るために生きるためでもなく、既にある、過去と未来を生きるために、現在を生きる。なんか、そういう考えがすんなり自分の中に入ってきた。 私はこれから、どう生きるのか。まだ、自分ですら方向をつかめていない。不安はあるが、自分の未来を生きるため、今、することをしようと、そう思う。 私は、父も母も好きだ。出来れば、二人で幸せになって欲しいと思っている。だが、現実はそうもいかないようだ。祖母を亡くして、母は、片翼をもがれたようだ。今まで、相談相手になってくれていた祖母と言う存在をなくし、感情のコントロールが出来なくなっていた。父に手を上げる母の姿を見たときのショックは、耐え難かった。そんな母の仕業を、じっと黙って、耐える父の姿は、痛々しくて言葉が出なかった。一緒にいたら、ダメなのかもしれない。そう、思った。母が壊れる。父が壊れる。恐ろしいことが現実になりそうで、怖い。 どうしよう。私は、どうすればいいのだろうか。これからの私の人生と併せて、悩む。私は、父と母の穴を生めることは出来ない。父と母の問題に、私が干渉できることは、そうあるわけでもない。母の愚痴相手に、父の愚痴相手に、なるしか、出来ないような気がする。私は、家族の中の緩衝材でしか、いられない。ただ、それで、少しでも二人が悪化することがないのであれば。そう思う。だが、それで、私は耐えられるだろうか。私が、耐えられるだろうか。私が、壊れないだろうか。それが、一番怖い。父も母も大好き。だが、そのために、私は自分を壊されたくない。怖い。どう、生きよう。 どんな未来があるのだろうか。恐怖と不安で押しつぶされそう。だが、未来を不安で書き直すことは、自分の未来を閉じてしまいそうで。前向きに、行けるところまで、行くしかないのかもしれない。 | |
| 実家へ | |
| 2006/03/17(Fri) 04:46 | |
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梅の花はすでに散り、桜のつぼみが豊かに膨らみをまして来た。桜の季節が近づいている。明日、実家に帰る。祖母の1年忌だ。
気づけば、去年、祖母の容態が急変したと聞いて、あわてて鹿児島に帰ったのが3月19日。その日、介護帰省パスという、JALの割引パスを空港で作ってもらい、昨年は何度もその帰省パスを使って鹿児島まで帰った。そのパスには、3月19日の日付と、祖母の名前が記入されている。もう、二度と使うことのないパスだが、祖母の想い出とともに、捨てることのできない、ひとつとなってしまった。 1年前、最後かもと思いつつ、納得できずに帰った。そして、それは、納得できないまま、最後の会見となった。 あれから1年。まだ、厳密に祖母の死から1年となるわけではない。だが、諸事情により、1年忌を今週の土曜日3月18日に行うことになった。祖母が死んだ3月24日は、私は鹿児島にいない。祖母の近くに帰るため、仕事の最後の後片付けをしているはずだろう。 悲しみは月日とともに薄れて行くというが、1年程度では、薄れてくれはしないらしい。1年前を思い出すたびに、まだ、涙があふれてしまう。まだまだ、時間が必要ということだろう。まだまだ、涙は涸れないが、この1年で、私は生きることについて、いろいろなことを考えさせられた。それは、祖母が与えてくれた機会だと思っている。よりよく、自分らしく、自分を生きる。それを祖母が最後の最後まで体現してくれたから、私は、自分を生きようと、思えた。自分を生きるために、どうすればよいかを、考えるようになった。それは、祖母のおかげだ。 愛すること、愛されること、そして、自分を生きること。人生の最大のテーマなのかもしれない。これからも、この時期になると、よりいっそう、強く考えるのだろう。桜の花を見るたびに、祖母の家に戻るたびに、祖母を思い出すたびに、考えるのだろう。 これから、少なくと1週間。ハンカチなしには、生活できなくなるかもしれない。 | |
| 伝えられなかった言葉 | |
| 2006/03/08(Wed) 00:18 | |
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祖母が死んでから、そろそろ1年が経とうとしている。もう1年なのか、まだ1年なのか。
あの時、泣く母を何度も抱きしめた。抱きしめるたび、自分の腕の小ささを思い知った。 あの時、寡黙に佇む父の姿を見た。そのとき、語らぬ父の語らぬ強さを知った。 あの時、頑固に祖母の前から離れようとせず泣きじゃくる姉に、あの時、祖母に憎まれ口を叩きながら涙を流し続ける次兄に、あの時、必死に平静を保ち家族を守ろうとしてた長兄に、家族の重みと、家族の想いと、かけがえのなさを、知った。 最後の祖母の顔はいまだに脳裏に焼きついている。桜を見上げる霞んだ瞳。あの時、伝えられなかったことを、今でも、後悔している。あの時は、伝えるのが怖くて、祖母の死を認めるのが怖くて、伝えられなかった。でも、あの時、まだ聞こえていた耳に、想いを伝えておけばよかったと、何度も何度も、悔やんだ。たった一言。伝えておけばよかったと。 ありがとう。 その言葉を表すのに、こんなにも、時間がかかってしまった。何度も言おうとして、喉まで出掛かっては飲み込んだ言葉。 おばあちゃん、あなたの孫で、よかった。 あなたの娘が、私の母で、よかった。 あなたの子供が、私の叔父で、よかった。 私の祖母が、あなたで、ホントによかった。 私の人生に、あなたがいてくれてことの、喜び、幸せ。 あなたがいてくれたおかげで、私は優しく、強くなれた。 ありがとう。 | |
| 落ち着かないなぁ… | |
| 2005/08/16(Tue) 23:10 | |
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実家に戻り、昨日、一昨日と祖母の初盆を済ませ、再び実家に帰ってきた。なかなか落ち着かない日々が続いております。母と父が父方の家のことでぎすぎすしていることもあり、家族揃っても何か落ち着かない。姉も姉でトラブルメーカーぶりを発揮してくれ、私は日々胃を痛めることになる。
14日は母方の祖母の家で初盆。行く途中から胃がしくしく痛み、ムリかも…。11時からお坊さんのお経を聞き、親戚同士でわいわいやり、ご飯を食べる。食べれない…。仕出屋さんのおそばが大好物なので、とりあえずそばだけ食べる。そしたら、、胃が胃が…。あまりの痛さにみんなが騒いでいる横で寝る。起きたら近い親戚だけ残っていた。17時前からお墓へ行き、堤燈をともす。それから延々21時まで墓守&酒盛り(ぇ?)。途中何度か買い物に行き、酒やつまみを買い足し。 21時過ぎから寝る準備を始め、もそもそ話し始める。体調があまりよくないため、早めに布団に入る。従姉妹たちと、長兄、姉、2番目の伯父のお嫁さんで何故か語り合い。。姉が何か得意げに話しているが、私は姉のその手の話に食傷気味なため、聞こえてくるだけで微妙に胃が痛い…。語り合いが終わったのが深夜1時過ぎ。長かった。。話し合いが終わった後も、長兄と姉のマッサージ講座が何故か始まり、その後1時間くらいわいわいがやがや…。もうみんな寝てるんだから静かに寝ろ、ということを再三言い、ようやく寝れた。。 15日、午前中からご飯の準備を始め、手巻き寿司で一番上の伯父、二番目の伯父、父の退職祝いをまとめて。総勢17人。わいわい。途中、父方のお盆の集まりがあるため、父方の祖母の家へ。相変わらず殺伐としている。あまり調子の宜しくない胃は、殺伐度計測器のように次第に痛さを増し、親戚1組目が帰ったあと、耐え切れずに祖母と同居している長兄の部屋へ。しばし寝る。親戚2組目がやってきたとのことで、再び集まりへ。ぐだぐだ言いつつ、なんとか無事に終わり再び母方の祖母の家へ。 こちらは雰囲気がとてもよい。が、父方の祖母の家で抱えた負の感情が一気に吐き出し、ぼろぼろに泣き出す。しばらく泣き、姉に引きずられるまま、花火を見学。そのまま引きずられるまま、物置と化した小屋で従姉妹たちと語り合い。かれこれ3時間くらい話しをし、家の中に入り、何故かまたみんなで小さい机を囲い酒盛り。 その後、実家へ帰宅。父と喧嘩中の私は、父とは別の車で母と制限速度60キロの道をえっこらえっこら50キロくらいでのんびり帰宅。疲れました。でも母方の親戚といると、楽しいなぁ。次会えるのはいつのことだろう。正月かな? | |
| 思い出 | |
| 2005/06/02(Thu) 00:47 | |
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思いがけず、祖母からの年賀状を見つけた。
毎年毎年送ってきていた年賀状。そこに、確かに祖母のいた、存在した跡をはっきりと感じ、表現しきれないさまざまな感情に襲われた。 ものはなくなっても思い出はなくならない。 祖母がたとえこの世には存在しないとしても、祖母は永遠に私たちの記憶の中で生きつづけ、存在し続けるのだろう。そう思うと、一瞬一瞬の人とのふれあいが、とてもかけがえのないものだと気づかされた。 思い出はかけがえのない宝物、心からそう思えた。 | |
| 傷は思いのほか深いらしい。。 | |
| 2005/05/26(Thu) 23:35 | |
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最近、つとにやる気がない。何かに対して熱中したりできなくなっている。
いつからだろう、とふと思った。もともと浮き沈みは激しい性質で、やたらと元気なときと、やたらと物思いにふける時期と、はた迷惑なくらい極端ではあった。でも、今くらいやる気が出ない時期が延々と続いたことはあまりなかったと思う。大体長くて1月で周期が来ていたはずだ。それがここ2月近く、ずっと気分が乗る、ということがない。 姉が、PCを私の部屋に持ってきた。祖母の動画がたまたま残っていたらしい。デジカメの動画撮影機能で撮った12秒の祖母。それを見て、涙があふれてきたとき、祖母の死から立ち直れていない自分にようやく気づいた。当然ながら、それを見せに来た姉も、ぼろぼろに泣いていたが…。 祖母の死は、避けられないものだったし、自分でも整理できているつもりだった。大好きだったが、それを受け止め、消化できているつもりだった。 だが、祖母の死は予想外に自分にとってダメージが深かったようだ。祖母の思い出の多い実家のほうにいないから、祖母がいないということをあまり実感せずにすんでいるだけなのだ。だから、ショックを受けていることに、自分で気づかなかっただけなのだ。 ぽっかりと自分の中に開いた穴は、空虚なまま、その穴を埋めるものを探している。だが、祖母をなくしたことにより開いたその穴は、あまりにも大きく、なかなか塞がることはなさそうだ。ふきっさらしのまま、やがては時間がその穴を埋めていってくれるのだろうか。。 そういえば、母は祖母が死んだ時から約1週間の記憶がなくしているようだ。先日、実家に帰ったとき、葬式のときの話をしたが、ほとんど覚えていなかった。 父も、あれ以来、なんとなく元気がない。 私の家族はしばらくはその傷からは立ち直れないのだろうな…。 | |